嘘の無い世界☆それは☆彼の世界

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自閉症で重度知的障害のある息子。虐待で支援学校に行けなくなってから早7年。傷ついた心は何処へ

【何故彼らは逃げるのか】養護学校がどうしても隠し続けたい息子の怪我

息子の悲しい目を誰も見なかったのか?

息子の怪我についてこれを「学校の不祥事」とするならばー

 

彼らにとっては永遠に隠しておきたい出来事だったのではないかと思っている。

 

何故ならー

 

問題が大きくなってニュースで取り上げられ、広く世間に知れ渡ってしまうと

 

もしかしたら誰かが何らかの責任を負わされる事になるかもしれないし

 

それによって、今ある自分達の地位や名誉に傷がつき最悪それらを失うかもしれない

 

考えれば考える程隠した方がいい、隠し通さなければならないとなったのではないか?

 

たとえ

 

虐待され、怪我をし、恐怖やトラウマから学校に行けなくなった障害児がいたとしても、自分達の名誉を守る事が優先される彼らには隠し通すしかなかったのではないか?

 

6歳の障害児に対してやった事、そして何があったのかを母である私や他の保護者達に正直に話すなんてもってのほか・・

 

自分達を守るためには絶対に・・・隠しておかなければいけない

 

 

何人もの大人たちが何故、たった一人の重度知的障害自閉症の息子から逃げ続けなければならなかったのか?

 

不思議な事だ

 

息子の怪我を誰も不思議に思わない、不登校になっている事に対して疑問を持たない

 

学校で何が起こっていたのか?

 

問いただそうとする職員が一人もいなかった事に絶望する

 

悪事を隠す事は都合の悪い人間達にとっては正義かもしれないが、被害者にとっては120%悪だ

 

怖い事だが、集団で隠せば無かった事になるのか?

 

怪我をさせ不登校にさせた障害児に対して、何故真摯に向き合おうとしなかったのか?

 

何を必死に守ろうとしていたのか?

 

怪我をし恐怖で学校に行けなくなった障害児を見捨て何を守りたかったのだ・・

 

人として情けなくないか?

人として恥ずかしくないか?

隠し通せればそれでいいのか?

それで満足なのか?

逃げて終わらせる事が・・それが教育者としての使命なのか?

教育者として、教え導く立場の人間としてそれを良しとするのか?

隠し通せたと笑って乾杯出来るのか?

良心の呵責というものは存在しないのか?

良心の呵責に苛まれはしないのか?

 

息子は悪魔の集団と出会ってしまったのか?

 

何故出会ってしまったのだ・・

 

不運というにはあまりにも、あまりにも子供が不憫だ

 


違う場所で違う人達と 出会えていれば・・

 

きみの人生は違ったよね

 

不運で片付けるには余りにも悲しいよ

息子の怪我とその背景

息子が校内で爪の剥がれる怪我をした背景とは?

 

息子が学校で怪我をした理由は、友達と喧嘩したとかいじめにあったとか遊んでいて・・とかそういった事ではない

 

体調が悪くて学校を休んでいた日に担任の訪問があり、学校に連れて来てくれと言われ仕方なく連れて行った時に起きた出来事だ

 

その日担任の対応をしてくれたのは用事があってたまたま家に来ていた知人であった

学校に行かせないのは親が悪い、親の責任だから話がしたい。

自分が学校にいるから、待っているから息子を連れて来てくれと言っている・・と。

 

学校を休んでいる子供をこれから連れて来てくれと?

 

何故?

 

担任の話を聞き心配した知人は腰が悪くて休んでいた私に「すぐ終わるだろうから」と車で息子を学校に連れて行ってくれた

 

息子の具合が悪くて学校を休む時は毎回、必ず連絡を入れた

喘息の発作が度々出るので欠席する日が多くなるかもしれない、との話は担任にはしてあった

学校では家で使用しているような吸入器は使えない

発作が出て体調が悪ければ無理はさせれられないので休ませるしかないのである

 

出来れば、息子は元気に学校に行ってくれた方が私は嬉しかったし助かった

 

いろんな用事が済ませられるし、何よりも少しの間だが自分の自由になる時間が持てるのだから。

 

それでも、息子の体調が悪ければ休ませるしかないではないか・・

 

それなのに

子供を学校に行かせないのは親が悪いと、親の責任だと、親に問題があると、

欠席している子を呼び出す必要がどこにあるのだ?

 

そうする事が学校の規則なのか?

校長の命令なのか?

それとも、担任が勝手にやった事なのか?

 

学校に呼び出された息子は怪我をし病院で治療を受けて帰ってきた

 

待っていると呼び出しをした担任は学校にはいなかった

 

もしかしたらどこかにいたのかもしれないが、一度も息子の前に顔を出さなかった

 

 

 

以前ブログに載せた事のある画像

12年前救急で治療を受けた時の診断書だ

 

ブロック注射をして爪と皮膚を縫い合わせてもらった

 

患部を濡らすと縫い合わせてある爪が取れると言われた

家の中で息子が少しでも動くとすぐに後を追いかけ、手を濡らさないか注意して見守っていた

だが、ちょっと目を離した隙に包帯を巻いたままの指を濡らしてしまい新しい爪が生えてくる前に縫い合わせた爪はポロリと、取れてしまった

 

悲しかった

 

学校が隠したい事、世間に公表されたくない事とは?

【6歳の重度知的障害児が体調が悪く欠席している日に担任に呼び出され、養護学校内で爪の剥がれる怪我をした】

 

ショッキングな話だ

 

養護学校(支援学校)に子供を通わせている親からしたら何事かと、何が起きたのかと知りたくなる話だろう

 

障害児の親でなくとも「爪が剥がれる」ような怪我が養護学校で起きたのであれば詳しい情報を知りたくなるものだ

 

学校で起きる事件や事故、いじめや教師の不祥事・暴行等などのニュースはどんな小さな地域で起きた事件でも世間の人々は関心を持つ

 

事件、事故の内容がショッキングなものであればなおさらだ

 

病気欠席している重度知的障害児を何故、どういう理由で学校に呼び出したのか?

 

これだけでも校長が責任を問われかねない問題ではないか?

 

 

「欠席していたはずの重度知的障害児が校内で爪の剝がれる怪我をしていた」

 

この奇々怪々とも言うべき、全くもって不可解な『事件』

 

敢えて『事件』とさせてもらうがそう言われてもおかしくないような酷い出来事であったのだ

 

だからこそ

 

隠しておきたい・・

ずっと隠しておかねばならない・・

表沙汰になったら困る・・

世間にバレるのはいやだ・・

 

学校が12年間も話し合いを拒み続けたのはそういう事なのだろうと・・

 

そう、私は思っている

 

 

学校とのやりとりを書いた数年前の下のブログ

 

marimomo105.com

 

これを読んでもわかるように息子の怪我に対する学校側の回答は支離滅裂で滅茶苦茶だ

 

彼らには『決めてある結論』がある

 

彼らにとってこの結論は『動かせない絶対的なもの』であるらしい

 

だが、その絶対的である『先に出した結論』に対して無理やり理由付けをしようとするからこんな風に言っている事がおかしくなってくるのだと、私は考えるのである。

 

校長が変わっているから当時を知る教頭が説明をしている筈だが、どういった話をしたらこういう結論になるのだろうか?

当時の息子の様子を私に聞くでもなく調査もまともにやらず、それでも「結論出ました」と言えば私が納得するとでも思ったのか?

 

学校は「警察」という単語を出される事を嫌がる

 

自分達が正しい、間違った事はやっていないという自信があるなら何も怖がる事はないはずだ

だが、彼らは「警察」を異常に嫌がる

 

学校で息子に何があったのか?親である私に対して説明する事を嫌がった

 

同じような事が起きないようにとの注意喚起のために、保護者や教育委員会を交えての話し合いをお願いし続けても当然無視された

 

結局、数年後ニュースになるような事件がこの学校で起きたわけだが・・

 

言わんこっちゃない・・

 

教師による重度知的障害児に対する暴行が日常的に行われていたのではないかと疑われてもおかしくないじゃないか・・

 

marimomo105.com

 

 

 

息子が怪我をしてから、担任も当時の校長も一度も息子の怪我を心配して様子を見に訪れた事はない

 

少なくとも、教育に携わる人間として我が家を訪れた人々が息子の怪我を気にしたり心配してくれる人達であったなら・・

 

 

私の心は少しは救われたのだろうか・・

 

 

恐怖におののく息子を繰り返し洗面器風呂に入れて虐待し

 

息子が欠席するのは「親が悪い、親の責任だ、子供を連れて学校に来い」と呼び出し

 

爪が剥がれる怪我をさせて帰宅させ

 

証拠も無いのにいい加減な報告で「爪が剥がれた怪我は子供が自分でやった」と怪我を息子のせいにされ

 

怪我をして学校に行けなくなった息子を、原因を作った担任は一度も様子を見に来ることもなく学校を変わり

 

話し合いをして欲しいと長年訴えているのに「あの親はうつ病で人と会いたがらないから」と悪質な嘘の噂を流され

 

やっと話し合いをするという約束が出来たと思ったらその約束は当たり前に破られ

 

息子はPTSDやトラウマで学校に行けなくなったのに「あの親はネグレクトで子供を学校に行かせない」と悪意のある嘘の報告が行政に行われ

 

不愉快に思いながらも耐えてきた事はたくさんある

ブログに書けない事も数えきれないほどある

それでも、いつかいい報告(真実)が聞けるのではないかと我慢して待っていたさ・・

 

学校に行けなかった事は息子にとって「幸」「不幸」か?

 

それは、当然「幸」なのだ

 

息子を守ってくれる人間は学校にはいなかった

 

学校に行けなかった事は息子にとっては幸せな事だったのだ

 

こんな風に思わせる養護学校っておかしくないか?

 

 

こんな風に思われる教育者って世の中に必要なのか?

 

 

ただただ悲しく、そして空しい

 

 

優しく、そして普通の感覚を持った先生に出会わせてあげたかった