嘘の無い世界☆それは☆彼の世界

嘘の無い世界☆それは☆彼の世界

自閉症で重度知的障害のある息子。虐待で支援学校に行けなくなってから早7年。傷ついた心は何処へ

何故文字にして残しておこうと思ったか・エテの為に怒れた事

ー誰にも知られる事は無いー

 

エテが学校に行けなくなって6年が経つ

毎日をエテと共に精一杯生きているので短く感じる

ほぼ二人きりの毎日の生活、特に代わり映えのしない日常

だが冷静になって考えればとてつもなく長い日々であった

小学校1年から中学1年(まだ入学もしてないけど)まで。。

子供が輝いてる時期にエテは家にいなくてはならない状況。。

 

 

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だがそんな事、関係者以外誰が知っているだろうか?

世の中の誰に知られるともなく6年が過ぎた

多分これから先も誰に知られる事もなくエテは年を取っていく

これでいいのか?自問自答してきた日々。答えの出ない日々。

エテの事を考えれば辛い日々であった

子供達は当たり前の様に学校に行っているではないか

何故エテは家にいる?どうして毎日家で過ごすのだ?

尽きる事のない複雑な思い、疑問、エテへの思い

 

誰も知らない、誰にも知られる事は無い。。。

そうやって6年が過ぎた。母にとっては短い6年

でもエテにとってはきっと長い長い6年だったろうな

 

ー卒業証書は手渡しで!?ー

 

6年間変わり映えしない日々を送っていた

それでも今までに3回ぐらいざわざわとした事がある

 

1回目は4年生の時。突然児童相談所の人がやって来た事。

この時の状況はまたいずれ書くとして。。。

 

2回目は卒業間近。学校から頻繁に先生が来る様になった

休み始めた当初は毎週来ていたが、それ以降は頻繁ではない

毎週金曜日に訪問されてプリントを置いて帰られる。

私は学校の行事等のお知らせは見れなかった

母にとって学校の物を見る事程、悲しい事はなかった

そしてエテにとっては。。。意味のある物ではなかった

私は先生に何回もお願いをした

 

『学校のお知らせは見ないので持ってこなくてもいいです』

 

何度お願いしても持って来る

まるでこちらの感情を逆なでする様で頭にきてハッキリ言った事がある

 

『私は一度も封筒の中を開けてみた事は無いです。』

『ここに来る時間を学校にいる子供達に使って下さい』

 

私が封筒の中を開けて見たのは、教科書の件の時だけ。

これどうぞ!と茶封筒を貰った時が最初だ

その時以外は、申し訳ないが開けないまま全て捨てている

見ない、読まない!と言う物を何故持って来るのか。。解せない

先生方の来られる回数は段々と少なくなったが、それでよかった

 

卒業間近になるとまた来られる回数が増えていった

他愛もない話をし、時には笑い、私の気持ちも少し変化しつつあった

 

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 【エテに不要な物】

 

もう直ぐ小学校の卒業式。エテは卒業式には出ないだろう。

いや出れないだろう、先ず学校に行ける筈がない

今でも怖がるので学校の話自体出来ない

そんな状況なので卒業式の事など、正直考えてもいなかった

 

卒業式の前日、先生が一人で来られた

卒業式の話になり『エテは学校へは行けない』と出席を断った

『エテ君は来れないと思うので』

『校長がどうしても卒業証書を手渡ししたいと仰っている』

『明日夕方、校長先生がこちらへ伺って証書を手渡ししたい』 

『わかりました。』と言うしかない、先生はホッとした様だった

 

残された私は ああ、なるほど!と一人納得する

最近頻繁に訪ねて来て冗談を言っていたのはこういう事なのか

ここに、卒業式に、繋げたかったのか。。。

支援学校に入学した時、エテを含め新入生はふたりだけ。

担任の先生とエテは1対1の関係で教えて貰っていた

その一人が6年間学校に行けず卒業式にも出ない。それでは困る

そうだ!家に行って卒業証書を渡そうではないか!?

そう言う事なのだろう。。。

 

『校長がエテ君の為にどうしても証書を手渡ししたいと。。』

『校長先生が直接手渡ししてお祝いしてあげたいと。。』

何度もそう仰る。仰るのだが。。。

 

校長先生って代わられましたか!?

母もエテも、新しい校長先生の顔、知らないです!?

それに学校なんか怖くて怖くて行けてないでしょ!?

母の聞く事、母の知りたい事、母がお願いする事・してきた事。 

全部ぜ~~んぶ無視してきたじゃないですか!?

何が目出度いんですか!?何が祝いですか!?

誰の為の卒業証書ですか!?

 そんなもの要らないエテも母も欲しくない

 

知人に頼んで電話して貰う(電話止められて繋がらなかったので)

3人も来る必要は無い、証書はドアノブにでも掛けて置いて欲しい、と。

 

でも、やっぱり彼らは来た。

こちらの言う事を聞こうなんて気持ちは全く無い

6年間ずっとそうだった。彼らは何時もそうだった

彼らからしたら私達親子の事なんてどうでもいいのだろう

どうでもいいというか目の上のたん瘤状態なのか。。。

 

結局、卒業証書は未だに貰っていない。

エテ君の為に、と言うが如何に彼らだけの形だけの行事だったか。

 

ー謝罪ー

 

エテはどこの中学校にも行っていない

書類を書く時、前は行ってなくても学校名を書けたが。

今は何処にも入学してない。どうなるんだろ?(・_・フム困った

 

小学校を卒業して、今は支援学校とは関係無い状態なのか!?

だからなのか、校長先生が来られた。謝罪に来られた

 

謝罪するという事は勇気がいる事です

その勇気ある謝罪に敬意を表し心から感謝したいと思います

 

ただ私は謝罪して欲しいとは露程も思っていなかった

謝罪して頭を下げられても私には意味がない。。。

既に6年も経っているし、既に謝罪はして貰っている

『エテ君が怪我した時に傍で見てなくてすいません』

その様な事を言われたのだが(4年生の時)その時に思った

謝罪と言うものは如何に無意味で独り善がりな物か。。

私には謝罪よりもっと欲しいものがある

 

真実。私が知りたいのは真実。

エテが何故、どういう状況で怪我をしたのか?

母としてそれが知りたいだけなのだ。卒業と謝罪!

彼らには早く終わらせてしまいたい事であろう

真実を知る迄、母にとっては決して終わる事は無い。

卒業証書と謝罪という二つの行事(行事と言っては失礼か)

母の目には、学校側の自己満足な行為だとしか写らない。

母として望んでもいないものは、強引に推し進める。

反面、母の知りたい事には応えようとしない。

 

申し訳ないが、母は完全に頭に来たのだよ!!!

 

この怒りが文字として残しておきたいと思った理由

誰も知らないであろう、こんな小さな事。

こんな小さな事だけど、こうやって残しておくのも、エテにとっては必要なのかもしれ

ないと思ったから。

 

だって、母である私がいなくなっちゃったら

エテの怪我さえも無かった事になりそうなんだもん。。

そんなのエテが可哀相すぎる。

 

謝罪したのに何時までグズグズ言ってるんだ?と思うなら思えばいい。

エテの右手の親指の爪が剥がれた理由がわかる迄、母は問い続ける

痛い思いをしたのに何も言う事が出来ないエテの為に母は問い続ける

何故学校を、何故担任を恐れていたのかわかるまで母は問い続ける

エテ自身が学校での辛かった事をリセット出来た時母の苦悩も終わる。

6年も経つのに未だに学校と担任を怖がるってどうなの?と思うのです

 

 本当に、いつか元気に学校に行けるといいね

みんなと同じ様に楽しい時間を過ごせる事を願っているよ

 

                  母より