支援学校へ行かせるという選択肢
その時の母にはそれしかなかった。どうにもこうにもそれしかない・・・
支援学校に行かなければこの先どうする!?支援学校を知る前に訪れた
家の近くの小学校では断られている。そして紹介されたのが支援学校だった。
支援学校に行けなくなればどこに行く?行く所なんかないよ・・・
独り立ちの第一歩は支援学校しかない。この支援学校しかないじゃないか・・
それしかない・・このまま支援学校へ行かせるという選択肢しかなかった。
今のエテにとって学校は地獄の様に恐ろしい所だ。母にとっても最早学校は
頼る事も信頼する事も出来ない場所であり存在・・・困ったね。悩ましいよ
エテは頑張れるか!?エテは我慢できるか!?エテは絶えて強くなれるのか!?
少なくとも、今はもう限界だよね。エテはもう限界でしょう。。ため息しか出ない
それでも休めば先生からの電話や訪問攻撃(攻撃じゃなきゃ何なんだ・・・)
ごめんねと言いながら、嫌がるエテをタクシーに乗せ学校へ向かった。
母は鬼になってしまったね・・・
【暗闇の前の輝く空】
エテ、君は夢遊病者になったのか
憂鬱な気分でタクシーを降りる。ここで引き返すわけにもいかない
担任の先生が、エテより小さな子と手をつないでいた。
『この子は2年生で去年担任だった子です』可愛らしい子だ。
成る程。“来年になればエテ君も、この子の様に懐いてきますよ”って事ですね
軽く挨拶をして帰ろうとすると・・・
エテが・・ふらふら・・ふらふらとこちらへ来ようとする
今までこんな顔のエテ見た事ないよ・・どうしたエテ・・
エテの顔は無表情で、虚ろな目は焦点が合わず、ふらふらと一歩また一歩
スローモーションの様に母の方へ近づく。でも母を見ない、見えていない
オムツの入った青いリュックを背負い、虚ろな眼差しでフラフラする様は
まるで夢遊病者そのものだった。エテ、帰りたいんだね・・母と一緒に。
先生はそんなエテの表情など気付く事も、気にする事もなかった。
2年生のこの手を引き、エテを促しさっさと学校の中へ消えて行った。
エテはもう母の方を振り向く事もなく先生の後をとぼとぼとついて行った
私はあの日から数年経った今でもあの時のエテの顔を鮮明に覚えています
そして今これを書いていても涙が出て来て止まらなくなります
今更泣いたってどうしようもないのに・・です。後悔だけです
どうしてあの時、エテが母の方へふらふらと近づいてきた時に、手を
差し伸べる事が出来なかったのか?あんな表情をしたエテを、何故一緒に
連れて帰ってあげなかったのか?母に助けを求めたのではないのか・・・
エテ、母はあの日あの時に戻れるなら、自分を殴ってでもエテを連れて帰るよ・・
その時のエテの様子と表情を見て本当に辛いんだなと、母が思っている以上に
学校は辛い場所なんだなと、やっと理解する事が出来ました。確信が持てました。
母も変わらなければ、先の事より今のエテを守っていかなければと、やっと
本気で考える様になりました。ごめんね・・・エテ