嘘の無い世界☆それは☆彼の世界

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自閉症で重度知的障害のある息子。虐待で支援学校に行けなくなってから早7年。傷ついた心は何処へ

あの日から・・私達は私達なりに一生懸命生きていると思っている

診断書

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これはエテが怪我をした直後に、救急で治療してもらった時の診断書です。

診断書を書いてもらったのは昨年の事になります。

あまり人様に見せる物でもないと思うのですが、理由があり出しておきます。

ブログで書こうと思っていたのですがやめておいた事です。

では何故今頃出すのか、その理由を書いておこうと思います。

以前学校から職員の方が来られた時に「エテ君の怪我をした親指を見せてほしい」と言われた事があります

あまりに唐突で「えっ!?」とびっくりしてしまいました

いったいどういうわけで、急にエテの怪我した爪を見たいと言いだしたのであろう??

それまで幾度となく我が家を訪問していたにもかかわらず、ただの一度もエテの爪を気にした事などありません。

それを考えれば今さらエテの指を心配して「指が見たい」と言ったのではないだろうという事はわかります。

では何故!?

ひとつだけ、怪我をしたエテの指を見たいという理由が考えられます

それは、私がブログの中で度々書いている【エテは学校で親指の爪が剥がれる怪我をさせられた】という内容と関連する事です

本当に親指の爪は剥がれたのか?と疑いをもっているのではないかという事です

私がブログの中でいくら【エテは学校で親指の爪が剥がれる怪我をさせられた】と言ってもそれはこちらの一方的な言い分でしかありません

実際どういう怪我をしたかなんてその場にいなかった職員からしたらわかる筈もありません

ブログに書いている私の主張している内容を、本当はどうだったのだろうと疑っても仕方がないだろうと思うのです(あくまでも私の推測ですが)

 そういう事があった後に、その職員の方に診断書を見てもらおうと思っていたのです。

ですが、先日家に来られた職員の方の話だと見せる機会もなくなった様なので、じゃあブログを見て下さっているという他の職員の方々に見てもらおうと診断書を載せた次第です

 

文章が理解しにくかったらすいません

時々「読みにくい」「わかりづらい」というコメントをいただくので気を付けて書くようにはしているのですが・・

上手く書けないのでわかりづらかったらすいません

診断書の内容

診断書に書かれている内容ですが、まあ調べてもらえばわかる事なのですが。

 簡単に説明するなら

爪が剥がれた(爪脱臼)ので、神経ブロックの麻酔注射キシロカインをして、剥がれた爪を縫い合わせた(シーラー法)という事です。

 エテが治療を終え帰って来た時にこの様に説明してもらったので、これであっていると思います。

この診断書を書いて貰った病院では、救急で処置してもらっただけなので診断書はこれだけになります。

次の日からは別の病院(整形外科)に、毎日化膿止めの消毒や処置で通っています。

この整形外科には病院が休みの日以外はほぼ毎日通いましたが、診断書を書いて貰おうと思った時には余りにも時間が経ち過ぎていてカルテが残っていませんでした(私の落ち度です)

整形外科で治療を受けている時に「怪我した指を絶対濡らさない様に。じゃないと縫い合わせた爪が取れる事がある」と言われていました。

もの凄く、もの凄く気を付けていたのですが・・・駄目でした。

まだ6歳という重度の知的障害児であるエテが、どんなに親指を濡らさないでねと注意したところで理解する事は出来ないのです。

常に包帯が巻かれている右手でしたが、ある日気が付いたら包帯が濡れていました

目を離した時に手を洗ってしまったのでしょう。

長期間利き手の親指を濡らさない様にしておく事は無理だったのかと落ち込みました

そして残念ながらブロック注射をして縫い合わせていた爪は全部取れてしまいました 。

それからエテの親指の爪が完全に生えてきて、何をするにも安心して見ていられる様になるまで数か月という時間がかかってしまいました。

もっと酷い事故ではなくそれで済んで良かったと、そう思うしかありませんでした

『爪はよく剥がれる、大した事はない』という言葉も聞きましたが、エテ本人にとってはとても辛い事だったのです。

診断書の日付に思う事

診断書を見てもらうとわかる様に救急で病院にかかった日付が平成24年6月11日】

なっています

これはエテが支援学校に入学してから、まだ2か月しか経っていないという日付です

支援学校に2か月しか通えていないのに、治癒するのに長い時間がかかるような怪我をしてしまったという事です

一番心配していた事でした

入学したばかりの支援学校で子供がこういう怪我をする事に親がどれほどショックを受けるか・・理解してはもらえませんでした

 

平成24年6月11日・・この日から今日までエテが支援学校の門をくぐった事は一度もありません

学校に対する恐怖から2度と行く事が出来なくなってしまったエテです

エテの学校に通うという夢や希望が、全て消え去ってしまった日です

大袈裟に言えば、私達親子が長くて暗く先の見えないトンネルに一歩足を踏み入れた日でもあります。

 

今日という日に至るまでの時の長さを思いだす時、正直とても辛いものがあります

エテの事を思うと、昔も今も辛いです

終わった事は忘れて前に進めと言われた事があります

その時は他人事だから言えるのだと憤慨したものでした

が、それは大事な事なのかもしれません

いつもそこで躓き、とどまり、前に進めない自分がいるからです

 

時間を戻す事が出来るなら、エテに違った道を歩かせてあげたい・・・

光り輝く時を過ごさせてあげたい・・・

いつもそんな事を考えてしまいます

そして、現実に戻され心の中でごめんねとエテに謝ります

 

それでも、あの日から・・・

 私達は私達なりに一生懸命生きていると思っています

 

 お付き合いいただき有難うございました

 

 *学校の職員が変わる度に話が振り出しに戻ってしまう様に感じます。

学校の事には今はなるべく触れない様にしていたのですが、やはりそれは良くない事なのだと思いました

繰り返しになってしまうと思いますが、学校に対する母としての気持ちや思いをまた書いて行こうかなと思います  

 

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紫陽花が好きで・・・

雨が好きで・・・

 

雨と紫陽花・・・

梅雨時を忘れさせてくれる癒しです