定期的に届くメッセージに疲れ果て・・・
ブログを始めて届くメッセージ・・
短期間ではありませんが定期的といった感じで届くメッセージがあります。
その内容は
『どうして学校に行かないのか』
『学校に行かせない親が悪いのではないか』
『学校に行けなくても他に行く所がある筈だ』
などといったものです
『どうして学校に行かないのか』という内容に関しては今は卒業しているので『どうして学校に行かなかったのか』という過去形でしょうか
内容的に色々と思うところがあって返信は出来ずにいますしそのままにしておいても目に入れば正直嫌な思いしかしないので、失礼ながら削除させてもらっています
どういう理由でこういった内容の物を送っているのかはわかりませんが、人を不快にするだけのメッセージは送り主自身の心にも良い影響を与えないのではないか感じたりします
もし私たちを傷つける事が目的であるなら、その目的は十分果たされています
十分過ぎるほど・・母は疲れ果ててしまっているので・・
重度知的障害自閉症の未来
重度知的障害自閉症の息子は一人では生きていけません
近い将来、自分がこの世を去った時息子はどうやって生きていくのか?
不安しかありません
同じ障害を持つ子供の親御さんは皆同じだと思います
自分達が生きているうちに、元気でいるうちに子供が一人でも生きていけるように
そういう場所(施設等)を探しておいたり世話にならなければならない介護職員やヘルパーさんなどとの良い関係作りをしているのかなあと思ったりします
そういう私は・・
『障害児エテ君のために来ました』とこの12年間で我が家を訪問し、出会った人たちがいます
話をしているととても良い人達のようだし信用出来ると思える人達でした
ですが、その訪問は息子の為ではなくすべて学校の為のようでした
その事に気付いた時人間不信になり誰も信じることが出来なくなりました
誰かを信じ、障害児息子の事を相談する事は出来ないんだと悟りました
『何かあったら相談してくださいね』と笑顔で優しい言葉をかけてくれる人たちが信用出来ないなら、障害児息子の将来を誰に相談すればいいのか私にはわかりません
支援学校に通って学び学習し将来の事を学校や教師のあたたかい指導のもと、生きていく道を探すことが出来ていたならと・・
学校任せ、人任せと思われても仕方がありません
障害児にとってはいろんな経験をさせてもらえる本当に大事な貴重な12年だったのです
障害児が成長出来る、成長するための12年だったのです
その大切な時間を無駄にさせてしまってごめんねと、そう思うしか出来ない悔しさ・・
虐待され、不登校にならざるを得なかった障害児息子は子供としてのびのびと学校生活を送る事は出来ませんでした
持っていた可能性を閉ざされたといっても過言ではありません
生きていく事が非常に厳しい障害児息子の将来、こういった形で潰されてしまう事を母は予想出来ませんでした
辛いという言葉を私は口にします
ですが重度知的障害自閉症のエテは辛いという言葉もその意味も知りません
他人に何をされても辛いという言葉を口にすることは出来ないのです
息子への虐待問題、不登校問題を無視し続けた学校や教師たちの障害者差別を私は絶対に許すことはありません
息子の持っている障害の特性を知りながら繰り返し虐待し、必死になっていた障害児息子の言葉を複数の教師が笑いものにしていた事を私は絶対に許すことはありません
虐待は回数で決まるものではない
教育委員会の方に「繰り返し虐待されたと言ってますがそれは何回ぐらいですか」と聞かれました
虐待された事実よりも回数が問題ででもあるかのような、本当に繰り返されたんですか?と疑いでもするかのような言い方にとても残念な思いをしました
もし繰り返し性的虐待にあった重度知的障害児がいた場合、同じように「繰り返し虐待されたと言ってますがそれは何回ぐらいですか」と聞けるのでしょうか
虐待された回数を気にする事に意味があるのでしょうか
虐待も何回までなら許されるというようなルールでもあるのでしょうか
たとえ一回限りでもそれがとてつもなく苦痛であり恐怖でしかなかったのなら、それは虐待なのではないかと思います
虐待は一回だけでも事件になったり、または犯罪として取り扱われたりする事はないのでしょうか
教育委員会として回数ではなく虐待された事実に目を向けてもらいたいと強く思います
息子の場合4月の入学から呼び出され怪我をした6月11日まで学校とかかわった期間はたった2か月しかありません
その2か月間にも体調を崩し欠席した日が多くあります
実質学校に行けた日数は少ないものです
その少ない中で、ある時から学校から帰ってくるたびに頭からシャンプーの匂いをさせて帰ってくるようになりました
【洗面器風呂】の日です
息子が壁に書いて苦悩を訴えていた【洗面器風呂】
担任が家に訪問した時に紙に書いて苦悩を訴えていた【洗面器風呂】
連続した日もあれば間が空いた日もあり回数でいえばトータルで4~5回だと思います
出席した日数が少ない中での4~5回の虐待は息子にとってPTSDになるには十分過ぎる程だったのです
『障害の特性がありそれはパニックになる事なので気を付けて欲しい』
話の出来ない息子の障害の特性を学校や担任に伝える事は親として大事な事であり、それは子供の為です
子供がパニックを起こさないようにとお願いしている事であり、親の願いは届いているだろうと信じるしかありません
虐待の回数が仮に1回だったとしても、6歳の障害児からしたら恐怖でしかないのです
残念ながら息子への虐待はトラウマになるほど繰り返されてしまいましたが・・
回数が問題だと考える人間がいる限り虐待は無くならないのかもしれません
私達健常者には絶対にわかる事が出来ない、それが障害の特性なのだと思っています
パニックになる事がわかっていながら洗面器風呂に入る事を強制強要された障害児息子の苦痛や恐怖を思うと涙が出ます
これは犯罪ではないのですか
これこそが人権侵害であるという事を教育委員会も学校も教師も、我が家を訪問していた人達の誰一人として理解していない事が私たちを苦しめ続けているのです
私は親として支援学校には行かせたかったです・・
エテもきっと行きたかった筈です
優しく導いてくれる教師のいる学校に・・・
支援学校の教師に虐待された障害児はどこに行けばよかったのでしょうか
支援学校から君が学んだことは何?
母に教えておくれ