言葉を選べば伝わらず、選ばなければきつくなる。笑っていれば大丈夫だと思われ、無言でいれば終わりにされる
自分のブログを開いたり読み返したりするのが苦痛である
思い出したくない事や考えたくない事、悲しい事辛い事、悔しい気持ちを書いてきた
養護学校に通う知的障害を持つ6歳の子供に起きた出来事を忘れてはいけない、忘れさせてはいけないという思いで書き始めたブログだ
自分にとって大事な大事なブログだ
大事なブログの筈なのだが自分のブログを見ようとすると・・気が滅入る
ここまで書いてきても何も伝わっていない
いや、伝わってはいた
伝わっているのか不安だった時にコメントで優しい言葉をもらった
理解してもらえた事に勇気をもらい書き続ける事が出来た
では、何に伝わっていないのか?学校にである、学校に何一つ伝わっていない。
登校拒否から7年の月日が流れ当時を知る先生方がいるのかどうかもわからない
このブログを読んでいると先生が仰って下さった。当時を知らない先生方に読んで貰えるのは有難い事であり感謝している
ならば今の状況は理解して貰えてる筈なのではと勝手に思っていた
何故登校拒否という今の様な状況になったのか?その経緯を書いてきたつもりだが、まだ何か書き足りていない事があるのか?
それとも私の書き方が悪く、あるいは理解不能な言葉を使っているのか?
言葉を選んでいるから伝わらないのか?
だが言葉を選ばなければきつくなってしまう、悔しくて仕方ないから。
それでも言い過ぎたかなと思えば笑顔でいようと心掛ける、そしてその笑顔は“もう大丈夫だ”と思われてしまう。でも全然大丈夫ではないのだ、今でも思いは・・苦しく悲しく悔しく辛い
じゃあ何も言わなければ何もしなければいいのか?
それは・・きっと全てを終わりにされる・・何もなかった事にされる。怖い
登校拒否が続く知的障害児の未来
登校拒否を続ける子供の未来。ただただ不安である。不安だらけだ。不安しかない。
それでも我が子が今どこにも行けない状況であるなら母として親として自分がどうにかしてあげなくてはいけないと強く思っていた
知的障害のある子が自分で自分の将来の道を切り開く事なんて無理な事だろう
以前ブログにも書いた子供の将来・・夢の様な事を考えていた。何をするにしてもこの子が将来収入を得るには相当な努力が必要になってくるだろう。努力でどうにかなればいいが母として思う我が子の夢の様な未来は・・果たして実現可能なのだろうか?
体調を崩した。ここ2年で2回の入院、年齢と共に確実に体力は落ちている
精神的な疲労もストレスも相当なものだと感じている
子供の将来を考え少しづつでも動いて行かなくてはいけない時期なのだが身体が言う事をきかない
元気だけが取り柄だったのになあと残念な気持ちだが自分に負けてはいけないと踏ん張っている・・・ついつい出てくる泣き言、情けない限りだ
最近学校から一枚の資料が届けられた
2回の訪問があり同じ物が2枚届けられている
届けられたその紙には【障害者基幹相談支援センター】と書いてある
障害のある方とその家族が何かで困っている事があれば相談してくださいとの内容
利用料は無料らしく障害のある人や家族にとってはとても有難い支援センターであろう
これから先知的障害のある我が子の事で悩み、困ってしまってどうにもならなくなったら遠慮なく相談してみようと思う
ところで、届けられたこの支援センターの紙にはメモが添えられてあり簡単なひと言が書かれてあった
メモには『これからに役立てばと思い進路の資料をおかせていただきます』とあった
頭の中を高速回転させ考えてみる・・・(これはいったいどういう事なんだ!?)と。
電話で『中学2年生になったので進路を・・・』と言っていたからこの紙は間違いなく我が子の進路資料なのだ
もっと言えばこれが養護学校から与えてもらった進路指導なのである
では学校に聞きたい、養護学校に通っている中学2年生の生徒は全員この紙を渡され『これが進路の資料です』と言われるのか?
それとも登校拒否を続けている我が子だけにこの紙1枚を渡して進路資料だと言っているのか?
実際、養護学校に通っている生徒にはどの様な進路指導がなされているのかわからない
我が子も他の子と同じ様に元気に明るく学校に通えていたならたった1枚の紙で済まされるのではなく、きちんとした進路指導をしてもらえる筈ではなかったのか?
そして・・母としての今の正直な思い
学校に対して懇談会を開いて欲しいと何度もお願いしてきた
大ごとにしたり大騒ぎする事は学校に迷惑がかかるのではないかという思いもあり我慢してきた事もたくさんある。
懇談会を開いて登校拒否の子供がいるという事を知ってもらい、親としての気持ちを話したかった。もう一度学校に通える様な配慮をしてもらう事は出来ないか?私一人ではどうにもならない事でもみんなに知恵を出してもらえば何かが出来るのではないか?もしかしたら我が子が失ってきた時間を少しでも取り戻してあげる事が出来るのではないか?
そういう思いがいつも自分の中にあり懇談会を開いて欲しいと何度もお願いしてきた
だが母の願いは一度も叶う事はなかった。小学一年の7月から学校に行けなくなった我が子も中学2年となった。子供にとってのこの長い年月を気にする人間は学校の先生方の中には誰一人としていなかった。我が子を守り救ってくれる大人は学校には誰一人としていなかった
学校側から進路の話が出た時、子供の事を気にしてくれていたのだと本当に嬉しかった
しかし・・・『進路の資料です』とポストに入れられてあった、たった1枚の相談支援センターの紙を見た時自分の中でプチっと何かがはじけ飛んだ
(何を有難く喜んでいたのか?虐待され怪我をさせられ恐怖から登校拒否になり、トラウマは7年経っても消える事無く、今でも担任の名前を聞けばパニックを起こす。そんな知的障害児の将来なんか学校は考えたくもないのだろう?学校にとっては文句を言い続ける厄介な存在なんだろう?学校に来ないんだから自分達で支援センターに電話して進路決めてくれって事なんだろう?こんな養護学校に対して何を今まで我慢してきたのだ?学校に配慮する意味があったのか?配慮する程の価値がこの養護学校にはあったのか?何か一つでもやって貰えた事、願いを聞いて貰えた事があったのか?何も無かっただろう?この7年間苦しんだのは自分達だけだっただろう?治るどころかどんどん開いていく傷口にこれでもかこれでもかと塩を塗り付けられ最後にはとうとう毒まで塗りつけられたではないか?何を信じていたのだ?誠意のかけらもないこの養護学校に何を期待していたのだ?もういい・・もう我慢しなくていい・・母として、大事な子を思う親として動いていけばいいではないか・・・こんな学校に配慮なんてするからずっと嫌な思いをしてきたんだ・・もう我慢する事はない・・もう何も我慢しなくていいんだよ)と・・・
自分のブログを開いたり読み返したりするのが苦痛である
思い出したくない事や考えたくない事、悲しい事辛い事、悔しい気持ちを書いてきた
もうやめようと思っていたブログ
だがもう一度このブログに戻り、これから先に我が子に訪れる様々な事を記録していこうと思った
自分の言葉で、自分に正直に、ただただ我が子の事だけを思い記録していこう
他の方法でも発信していこうと考えているが、その時はこのブログに誘導して全てを読んでもらえるように出来ればと思っている
その為にもこのブログを続けていく必要があるのだろうと。
遠慮する事も配慮する事も我慢する事も全部無駄だった7年
もう遠慮も配慮も我慢もしない・・・強い母にならなくては。
虐待・怪我・恐怖・トラウマ・フラッシュバック・登校拒否・・6歳の重度知的障害児に起きた出来事。無かった事にはさせない、絶対に!!
障害者の逸失利益、健常者と同基準で算定 東京地裁判決
2015年に東京都八王子市の障害児施設から行方不明となり、遺体で見つかった松沢和真さん(当時15)の両親が、安全管理を怠ったとして施設を運営する社会福祉法人藤倉学園(東京)に約1億1400万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、東京地裁は22日、松沢さんが将来得られたはずの「逸失利益」を健常者と同じ基準で算定し、約5200万円の支払いを命じた。
松沢さんには知的障害があり、施設側は逸失利益をゼロと主張した。これに対し、田中秀幸裁判長は「特定の分野では健常者と同等か、それ以上の能力を発揮する可能性があった」と判断。障害があることを前提とした賃金でなく、19歳までの男女全体の平均賃金を基に計算した。
両親側代理人の坂本千花弁護士は判決後に都内で記者会見し「過去に例がなく、画期的な判断だ」と評価。同席した父親の正美さん(62)は「良い裁判例になってほしい」と話した。
判決は、障害者雇用促進法により「障害者の雇用政策は大きな転換期で、一般企業への就職を否定すべきではない」と指摘。「逸失利益の算定では個々の障害者の働く力を具体的に検討し、一般就労の可能性を考慮すべきだ」と結論づけた。
両親は男性の全年齢の平均賃金を基に、逸失利益を約7400万円として賠償請求した。判決は、障害者と健常者の賃金格差をあまりにも無視するのは損害賠償制度の趣旨に反すると判示。約2200万円が相当とし、これに慰謝料などを加えた。
藤倉学園は「コメントは差し控える。松沢さんのご冥福をお祈りするばかりです」とのコメントを出した。
訴状によると、松沢さんは14年9月から施設で生活。15年9月に施錠されていない玄関から1人で外出し、約2カ月後に相模原市の山中で死亡しているのが見つかった。〔共同〕 2019/3/22 日本経済新聞より
悲しい事件です
責任が問われるのは当然ですね
ですが、亡くなった子供は戻ってはこない
ご冥福をお祈りいたします
我が子に起こっていてもおかしくない事件です