絶対に解決する、母が母としてやる事。
やっと社会へと飛び出し始めた6歳の子が負った心の傷そして怪我
学校に対する恐怖
その恐怖から登校拒否になった子供の心に寄り添うとした人間がこの7年間、学校側に一人でもいただろうか?
親としての私の話をほんの少しでも真剣に聞こうとしてくれた人間が一人でもいてくれただろうか?
親や子供の苦悩を理解しようとしてくれた人間が一人でもいただろうか?
関係者達は保身に走り逃げるばかりで蔑ろにされてきた子供がただただ不憫だった
いつか必ず全ての事を解決してあげようと思ってはきたが、では全てを解決すれば子供のトラウマは消えるのか?
一度植え付けられたトラウマを克服するのは健常者でもそう簡単な事ではない
障害のある我が子を見ていると克服するのは一生無理ではないかと・・そう思う
言葉がうまく伝わらないというのはこういう時なんと悲しいことか
障害児だから、言葉が理解出来ないから、訴える事も伝える事も出来ないのだから・・だから何も出来ないし何もしないし何もする必要がないと、学校側からはそういうものをずっと感じてきた
問題が全て解決するまで、今まで逃げ続けた学校がこの問題をしっかり認識しその責任を果たすまで、私はこの場であるいは違う場で繰り返し訴えていく
繰り返し繰り返し何度でも何度でも・・・
今までだってこれからだって一人での闘いだ
カッコ悪かろうが、しつこかろうが母は母としての役目を果たす
前を向いて歩いていく事と、問題を解決する事は別だと思っているから。
でも出来なかったら?何も出来なかったら?
そうしたら・・・子供に泣いて謝るしかない
『障害児に産んでしまって苦労させてすまんのう。役立たずの母ですまんのう』と。
もし今自分が突然いなくなったら・・・
いつも考えている
もし今自分が突然いなくなったらこの子はどうなる?どうする?
子供は社会性が身についていない、社会性の身についていない子ってどうなる?
日々を学校で生活する子と家だけで生活する子とでは身につく社会性は全然違ってくるだろうなと思う
どこでも行かせれば行けるんじゃないかと思うかもしれないが、実際難しい
どこでも行けて少しでも社会性が身について将来の自立に向け成長出来れば、本人は勿論母もどんなに嬉しくそして楽になる事か
障害のある我が子が自立にむけ頑張る・・親から自立していく、夢の様な話
だが正直難しい、いまだに学校や先生を怖がる事が子供の行く手を遮っているのか?
どこかに連れて行こうとすると身構える
連れていく事に一度失敗すると次は頑なに行く事を拒否する
何かが子供をそうさせる、それは母にはわからない部分
子供の心の中の深い深い部分をきれいに洗濯して嫌な事を全部忘れさせてあげたい・・ほんとにそう思う時がある
苦しくても自分の殻を自分で破らないといけない時が一生のうち一度はあるんだ・・
子供に伝えてあげたいが、無理だとわかっている。
色々と考える
自分が突然いなくなって障害のある子供がどこかで生きて行かなくてはならなくなった時・・あたり前だが誰もこの子の事を知らないし子供も自分の事を話す事が出来ない。
今すぐにどこかに行って理解してもらう事も難しい
もう本当に考えただけで不憫すぎる・・・ではどうする?どうしよう??
そうだ!!子供の事を伝えていこう
子供の色んな事を知ってもらおう
良い所も悪い所も、全部伝えていこう
もしかしたら自分が突然いなくなっても誰かがそれを見ていてくれたら・・・
そう思い作ってみた
YouTubeで動画をアップロード出来るアカウントを!
我ながらいい考えだ
試しに非表示でアップロードしてみたら・・いい感じではないか!!
これで我が子の色んな事を伝えてみよう(いつになるかは未定だが・・)
そして少しづつでも外に目が向けれる様に、自立への道を歩いて行ける様に頑張ろう
そしてバラされるのだ・・・
君がまだ時々オムツをしているという事を!!!!
(・・・まあ便秘と下痢を繰り返すので仕方ないのだが)