自分の心や気持ちの変化
やめようと思っていたこのブログ。
自分の気持ちを自分の言葉で、ただ正直に書いていこうと再び開いてみた。
大人になるにつれ自分に正直に生きていく事が難しくなってくる。
言葉でうまく伝える事が出来ない障害児をかかえ、その子が今の様な状態になった時に親はいったいどうしていけばいいのか?何が出来るのか?
子供を守るためには親として自分に正直であるべきではないか?
この7年間、学校に対しては一言では言い表せない悔しい思いをずっとしてきた
じゃあ書いていこう、悔しい腹立たしいと思う正直な気持ちを書き続けよう
不思議なものだ
そういう思いでまたブログを書き始めた自分の気持ち・心が変わってきた
今まで体を覆っていた得体のしれないたくさんの憑き物が一気に落ちた様な気分
これまで感じた事の無い様な晴れやかで爽快な気分
一人の障害児に対するあってはいけない事を隠し続ける学校を世に知らしめたかった
学校から登校拒否に追い込まれた子供の実情を世に知って欲しかった
だが学校に対する遠慮や配慮、自身の気持ちに戸惑いがあったのは否めずどれもが中途半端になっていた
その自分の中途半端さに嫌気がさしブログも閉じようと思った
しかし・・やっぱりこれではいけないのだと決心した今、もう自分の中で戸惑いはない
学校に対して遠慮する必要もないし配慮もしたくない
“前に進まないといけない”と言われたがもしかしたらこういう事だったのか?
まだ足元を漂っている落ちた憑き物達が再び身体に這い上がって来ない様に蹴散らし蹴散らししながら、自分に鞭打ってでもやっていく
はっきり言って・・・無理をする(笑)
警察の介入を嫌がった学校
私は学校側に対して2度「警察に調べてもらってはどうか」と提案した事がある
1度めは怪我をした当日、学校側から「多分車から降りる時に怪我をした」と言われた時。
調べもせず、根拠も証拠もないまま適当に決めつけられたので「車から降りる時の怪我かどうかも含め警察に調べてもらったらわかるのではないか」と提案してみた
だが次の学校との電話では車から降りる時に怪我をしたという話はなくなっていて、これ以降1度もこの話は出てきていない。不思議な事にきれいさっぱりと消え去った
これとかわって出てきたのが“子供が自分でやった”という話。適当でいい加減な学校の対応には呆れるばかりだ
2度目は昨年9月のブログ
いやはや・・適当でいい加減で支離滅裂で保身だらけの学校
私がどんなに事実・真実を知りたいと頑張っても学校側にこういう対応をされ続けたのでは何ともしようがないではないか・・だが警察に介入されるのは嫌なのだ・・いやはや
ネットの世界と虐待・体罰への世の中の関心
下は昨年9月12日のこのブログのページビューと訪問者数だ(自身が取り入れているGoogleアナリティクスより)
ページビューは約2万8000、訪問者もこの日2万人を超えていた
ちょっと見づらいが
(PV(ページビュー)とは、ウェブサイト内の特定のページが開かれた回数)
この日は朝からひっきりなしにアクセスがあり正直怖いぐらいだった
普段の自分のブログでは考えられない、有り得ない数のアクセス
瞬間的に600人近い人がブログを見に来ている事があり流石に何かやってしまったかと怖くなった
子供がどこの学校に通っていたかまだ公表していなかったし、Twitterもやっていない
こんなに突然アクセス数が増えるのはおかしい・・いや嬉しいが何かおかしい・・
後でわかった事でブログにも書いたが子供の通っていた学校で教師による体罰がニュースになった日が9月12日だった
養護学校での教師による体罰というニュースを見た人達がこのブログにたどり着きいっきにアクセスが増えたのでだろう
理由がわかれば“ああなるほど”と納得した
ネットの世界は狭いなあと、全てが繋がっているのだなあと実感した
それと同時に教師による障害児への体罰・虐待を世の中の人はこれだけ気にしてくれているのだと、関心があるのだと勇気をもらえた出来事でもあった
そしてまた、私がTwitterで発信したくてもまだ何となく戸惑っている理由でもある
学校が隠せば隠すほど人は知りたくなり深く関心を持つものだ
子供に携帯を渡した結果
子供は携帯が大好きで動画を見たり歌を聴いたりする
それだけならいいのだがメールや電話にも興味がある
いたずら(本人はいたずらとは思っていない)されるのが嫌で自分から電話やメールした履歴、相手からきた電話やメールの履歴は終わればその都度全て消去していた
が、最近教育委員会と学校にかけた電話の履歴を消去し忘れていた
携帯で遊んでいた子供が電話をかけたのではないかと心配している
何度かかけていたら申し訳ない