養護学校とは我が子にとって何だったのだろう
我が子が唯一行く事が出来る学校
いや・・・行く事が出来たであろう学校
重度の知的障害がありまだオムツも取れていなかった我が子
養護学校の存在が有難かった
養護学校に対する絶大なる安心感と期待・・そしてほんの少しの不安
この子は養護学校しか行けないだろうが、でも養護学校があって良かった・・
養護学校があって本当に良かった
まさか入学後僅か3か月で養護学校さえも行けなくなるとは思いもしなかった
傷つけられた子供はぎりぎりの精神状態で通学していた
子供の必死の訴えは母の目の前で嘲笑され、理解して欲しいという子供の思いは踏みにじられた。
これが知的障害児の通う養護学校の教師のやる事なのかと怒りが湧いた
傷つけられ怪我をさせられた子供は学校に行けなくなった
そして・・そして・・
我が子は担任を放棄された
傷つけられ訴えは嗤われ、心のケアをしてもらう事も無く入学後3か月で担任を放棄された知的障害児
ただただ・・・かなしかった
せめて我が子が1年生の間だけでもよかった
残りの数か月、担任として何故我が子と向き合ってくれなかったのだろう
何故担任を放棄したのだろう
何故我が子は担任を放棄されたのだろう
何故?何故?何故?何故?
紫陽花の花のしぶとさ
紫陽花・・大好きな花だ
梅雨時の紫陽花はとても美しい
あちらこちらが美しく可愛らしい紫陽花の花でいっぱいになる
だれもがその美しく咲く紫陽花を見て梅雨の煩わしさから解放される
だが・・・
美しく咲き誇ったあとの枯れた紫陽花の花を見た事があるだろうか
もう誰も気に留める事のない枯れた紫陽花の木・・・
紫陽花の花は枯れて落ちるのではない
枯れたまま、それでもまだ木にしがみついているのだ
枯れて汚くなっても花はいつまでもしぶとく木にしがみつく
今の自分に必要なしぶとさ・・・そう思いながら暫くの間、眺めている
エテの為にしぶとい母になろう