先ず、はじめに。
頂いた咳止めシロップ、エテは美味しそうにぺろぺろ舐めてました
全部飲むといけないので、冷蔵庫の奥へ隠しておきました(笑)
少しづつ舐めさせようと思います。本当に感謝です
新美南吉の生家
新美南吉の故郷、愛知県半田市の南吉の生家に行った時の写真を載せます
「ごんぎつね」・・知らない人はいないというぐらい有名な童話ですよね
イタズラ大好きごんぎつね・・最後はちょっと悲しくなるお話です
新美南吉(にいみ なんきち、1913年7月30日 - 1943年3月22日)は、日本の児童文学作家。本名は新美正八(旧姓:渡邊)。愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した。彼の生前から発表の機会を多く提供していた友人の巽聖歌は、南吉の死後もその作品を広める努力をした。(Wikipedia)
南吉、29歳で亡くなってたんですね・・・悲しい
南吉の生家です。こじんまりとしています
今でも普通に住めそうなぐらい綺麗な状態で残されています。驚きです
一番奥が畳を作る作業場の入り口、真ん中の入り口を入ると居間に通じています
周りには近代的な住宅が多く、南吉の生家だけポツンと取り残された感じです
中に入ると・・・過去にタイムスリップしますよ
父の営む畳屋の作業場
南吉の父親がやっていたという畳屋の作業場。狭い感じがします
お父さん、家族の為にここで一生懸命働いていた事でしょうね
作業場の横にある小さな部屋。そして、そこに置いてある小さな箪笥
時計は動いていません。いつから時を刻む事を止めたのでしょうか・・
同じ部屋に置いてある自転車。古くボロボロになってます
でも綺麗に保存されてます
当時の自転車って相当貴重だったんじゃないんですかね
ボロボロになるまで大切に修理しながら乗ってたんじゃないかなあ!想像出来ます
下駄屋と居間
良い雰囲気ですね。棚とかあって、ちょっとお洒落な感じ
下駄屋があります
南吉は大正2年に生まれたのですが、生母りゑは大正6年に亡くなっています
後妻としてやって来た、南吉の継母志んの下駄屋だそうです
下駄屋の奥の方が居間になってます
家族で笑い合ったり、時には喧嘩したり。
当時が偲ばれます。行ってみたいなあ・・・
壁に掛けてある着物。お父さんか南吉かが着ていた着物なのかな
南吉さんの写真
勝手場と食事部屋
先ほどの居間からこの梯子で下に降ります
表から見ると一階建て、裏から見ると二階建ての家になってます
何だか隠し部屋みたいで面白いですね
母はこういう家、大好きです!ワクワクしてきます
階段を降りると、そこには勝手場があります
狭いですが、無駄な物が一切無い感じがします
食事をする所の小間と、物置です
この小間で家族でご飯食べてたんですね
火鉢のような物もあります
寒い冬も皆で火鉢囲んで暖まってたんでしょうかね
何、食べてたんだろ!?
ああ~、行ってみたいよ~~!当時のその場所に~!!
慎ましく、そして幸せに暮らしていたんだろうなあと想像出来ます
素敵な、良い時代でもあったんだろうなあ・・・
ちょっと、羨ましくもあります
親子の写真・母の自撮り
子供が大きくなって自分の写真を見た時、親と一緒に写っている写真を喜ぶらしい。
何かで読んだ事があります。母とエテの一緒に写ってる写真・・あまりないね(泣)
という事で、自撮りしました。エテはちょっと嫌がってましたが(笑)
飾り付けぐちゃぐちゃですが、可愛く出来ました(笑)
エテは乗り気でなく、ちょっと口が開いてたのでペロペロキャンディー、ぺろぺろ
思い付きで撮ったので、次はバッチリ化粧して、ギンギンにキメたいと思います!!
・・・言い回しが古いって(笑)
もう直ぐ日が沈みます
辺り一面、黄金色ですね
とっても綺麗です
お天道様、また明日お会いしましょう