諏訪湖にて。
エテは2005年(平成17年)10月25日に生まれました。
その年の暮れ、小さな小さなエテを連れ車で諏訪へ行きました。
諏訪大社へ初詣です。
エテが生まれてお宮参りにも行ってなかったのでそれも兼ねてと、遠出しました。
エテはあったかーい車の中でほとんど寝てましたが。
夜に家を出て、2006年1月1日・元旦の早朝に諏訪湖に着きました
山間の道路から見えた諏訪湖の息をのむほどの美しさ!
一面凍った大きな湖が朝の光りを浴びキラキラと輝いていたのです。
凍っている湖を見たのが初めてだったのでただただ感動していました。
湖の近くに行くと氷の上で釣りをしているおじさんがいました
え、氷の上に乗れるの!?
こんな大きな湖、表面が薄く凍っているだけだろうと思っていたので、またビックリ。
5人で来ていたのですが、二人が氷の上に乗りちょっと遊んでいました
凍っている諏訪湖はどこか厳かで雄大で心が洗われる感じがしました
お正月の諏訪は澄んでいてとても美しいのですが、寒い。とにかく寒いのです
流石に物凄く混んでいました。
お正月なので当然混みます、まあ想定内です。
エテはベビーカーに載せ、暖かく暖かくして一緒にお参りです
覚えているかなあ、エテ君は。
夕方、諏訪を出て家に戻ります
夜になると冷え込み帰り道は雪の中のドライブとなりました
もう13年も前の事なんだなあ
懐かしく、楽しかった諏訪大社への初詣の想い出です
諏訪大社の初詣から戻って
その当時ニュースなどで度々流れていた児童の行方不明事件がありました
覚えていらっしゃる方、いるでしょうか
【2006年1月16日】
読売新聞、中日新聞、日刊スポーツによると、2005年12月3日に長野県諏訪市の堀内龍桜君(当時11歳)が行方不明になっている事件で1月15日、岡谷市湊の諏訪湖で龍桜君の遺体が発見された。
15日午後0時20分ごろ、諏訪湖に釣りに来ていた岡谷市の男性 (70) が湖面に男児らしき遺体が浮いているのを発見し、警察に通報した。駆けつけた岡谷署の警察官が遺体を収容、その後、母親によって龍桜君であることが確認された。岡谷署は目立った外傷も無く、服装も行方不明当時のままであることから、朝日新聞によれば過って転落した事故の可能性が高いと見ている。中日新聞、日刊スポーツによると、同署は司法解剖し死因の特定を慎重に行うという。読売新聞、中日新聞によると、発見された場所は、行方不明になる直前に散歩していた釜口水門付近。水深はおよそ4.7メートル。釜口水門は諏訪湖の西端で、天竜川への流出口にあたる。
中日新聞によると、長野県警は延べ3,000人の捜査員を動員し、朝日によればこの水門付近も含め諏訪湖をダイバーが探索していたが手がかりはつかめていなかった。
堀内龍桜君が通っていた諏訪市立高島小学校の小口あけみ校長は「元気でいると信じてきた。本当に残念な結果になった」と語った。
龍桜君は2005年12月3日午後3時ごろ、諏訪湖畔を散歩中に子犬の扱いについて妹と口論になった。それを母親に叱られた後、母親がトイレに行った隙に行方不明になっていた。 ウィキニュースより
私もニュースで見ていて気になっていた事件でした
この寒空の中、まだ小学生の子供がどこへ行ってしまったんだろうと。
途中で、ある女性が自分はその子と話をしたというニュースが流れ喜びました
ああ、もしかしたらどこかで元気にしているのかもしれないと。
が、実はそれは作り話だったという悲しいニュースへと変わりました
2005年12月3日に行方が分からなくなり、発見されたのが年の明けた2006年1月15日
悲しい事に遺体で発見されました
あやまって諏訪湖に転落したのだろうという事でした
目立った外傷はなく、服装もいなくなった時のままだったそうです
悲しい結末でした
子供を持つ親としてこんな悲しい事はないです
それと同時に私には心に引っ掛かる事があります
日付を見て何か気が付いた方、おられますか?
2005年12月3日に行方が分からなくなり、発見されたのが年の明けた2006年1月15日
エテを連れて諏訪大社に初詣に行ったのが2006年1月1日です
諏訪湖の氷の上で遊んだのもその日でした
諏訪から戻って遺体発見のニュースを聞き驚きとショックで呆然となりました
あの日、諏訪湖の氷の上で遊んでいたその時・・・
縁があったのでしょうか
その子の為に、私は冥福をお祈りしました
初詣にまつわる忘れる事の出来ない、悲しい想い出です
【雨に濡れた木の実。エテと出掛けた先で。】