頑張ってはみたが・・・
エテが学校に通えた時期、朝エテを学校に行かせてしまえば後は母の自由時間でした。
自由時間と言ってもやる事は山ほどあります。
が、それでもエテに邪魔される事がないので物事がすんなりと進んでくれました。
子供が学校に行っている時間、世のお母さん方にとっては貴重な自分の時間なのではないかと思ったりします。
仕事をしている人は、それとはまた違うのでしょうが。
エテが不登校になってから、なんとか規則正しい生活をさせなければと心掛けていました。
学校に行っていた時と同じ様な時間の使い方をしようと、時間割らしき物も作ってみたりしました。
ただ時間割を作ってはみても、実際学校に行くわけではないので直ぐに甘くなりがちな自分とエテに喝をいれながらやっていました。
支援学校では教科書を使う学習等は無かったので家でも絵本を読んだり、読んであげたりお絵描きをしたり、一緒に運動しながら遊んでみたりという時間を過ごしました。
しばらくそういう生活を続けてみたのですが、何故か思う様に上手くはいきません。
不登校になったエテが毎日家にいるというのは、母のやる事、出来る事が制限されてしまう事になります。
母の出来る事が制限される中での、母とエテの学校の真似事【学校ごっこ】は上手くいきませんでした。
学校に行けば教師が面倒を見る事になりますが、自宅では朝食後から母が付きっきりで【学校ごっこ】でのエテの面倒を見なければなりません。
学校では給食の時間になれば出来上がった給食をよそうだけで済みますが、家ではそうはいきません。
朝食後2時間ぐらい一緒に本を読んだり遊んだりし、それから急いで昼食(給食)の準備をします。
エテは物凄く食べるのが遅いのでそれに付き合っていると午後の時間は殆どが昼食(給食)で潰されてしまいます。
それこそ学校と同じ様に時間を決めて食べさせればいいのですが、毎回それをやると昼をほとんど食べない事になってしまうのです。
だんだんと、「これぐらいならいいか~」「まあいいか~~」となってしまい遂には「もう、無理だ!」と挫折してしまったのです。
朝ごはん食べて一緒に遊んで、お昼ご飯食べてまた一緒に遊んで・・
別に誰でもやるようなこういう生活で良かったのですが、あくまでも学校生活と同じ様にやる!と決め、意地になっていたように思います。
母の甘々さと根性なしのせいで、エテの生活をきっちりと導いてやる事は結局出来ませんでした。
頑張ってはみたが・・と書きましたが、こうやって書いてみると全然頑張ってなかったですね(´д`)
ママ先生の限界を痛感した出来事です。
成長すると難しくなる強制。
小さい頃はすんなりやってくれていた事も、大きくなると拒否する事も多くなりました。
自分がやりたくない事に関して「何故それをやらなければならないのか」と疑問に思う事が出てくる様になったのです。
言葉でそれを伝える事は出来ませんが、エテの表情は「どうしてそれをやるの!?」「何故それをやらなければいけないの!?」と明らかに怪訝そうだし不機嫌です。
それは心の成長というものなのかもしれませんが、これがどんどん強くなってくるのです。
学習して貰おうといろんな事を準備しても「何故やるの?」「それは自分はやりたくない」と思えば、頑なに拒否し続けるのです。
“教えてあげたい” “学んでほしい” と思う事もこの「どうして?何故?」というバリヤに跳ね返されてしまうのです。
今日、スケッチブックを出してエテにひらがなとカタカナとABCを書いて貰いました。
強制なので嫌がったのですが、それでも自由に書いてくれました。
ほんとはもっと上手な字を書けるのですが(親馬鹿)面倒だったらしくなぐり書きのようになってます。
次にくだものと野菜を書いてと頼んでみました。
イチゴを書いた次点で既に限界で、「やさいおわり」と書きました。
一個だけ書いてと言ったら「いこ(一個)やさいわおわりだよ」と書いていました。
それでも何とかお願いしたらにんじんを書いてくれました。
自分(エテ)がやりたくない時、たったこれだけを書いてもらうのにも労力を使わねばなりません。
エテは何かを強制的に書かされる事を特に嫌がります。
マジックでの自由な落書きが大好きなので、突然紙を持ってこられて何か書いてみて!?と言われても戸惑ってしまうのかもしれません。
母のやり方が悪かっただけで、方法が違えばエテのやる事もまた、違ってくるのかもしれません。
だんだん頑固になってくるエテが、将来どこかで働く事が出来るのか不安になります。
エテを正しく、優しく、導いてくれる人の話ならすんなりと受け入れられる・・
そんなエテの未来に期待するしかありません。
エテの良き師匠が現れないかなあ・・・