嘘の無い世界☆それは☆彼の世界

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自閉症で重度知的障害のある息子。虐待で支援学校に行けなくなってから早7年。傷ついた心は何処へ

自分の亡くなる歳を笑顔で語る叔母が本当にその歳で亡くなった話

7月20日は母の命日

今日は母の命日です。

 

亡くなってもう20年以上経つのか・・時が過ぎるのって早い!

『お母さんが死んだ』と姉から電話がかかってきたのがつい昨日の事のようです。

今まで生きてきて一番辛かった日、一番悲しかった電話かもしれないです。

 

母が亡くなる5年前に父が亡くなりました。

父は癌の大きな手術を2回行っていて入院も数回していたので姉や弟達としっかり看病出来ましたし、家族に看取られ最期を迎えられたのは父も家族もきっと納得いくものだったと思っています。

それに比べ一人で住んでいた母は布団の中で眠ったまま、誰にも看取られることなくひっそりと旅立っていきました

母の死に対しては後悔しかありませんが、とても気丈で私達子どもに弱いところを見せたことが一度もない ❝家大好き病院嫌い❞ だった母らしい最期かな・・

と都合よく考えるようにしています

 

生前母が話してくれた事があります

ある日、布団で寝ていた母が夜中ふと目を覚ますと枕元に人がいたそうです

驚いて慌てて起きてみると普段からよく家に遊びに来ていた、ちょっと痴呆気味のおばあちゃんがひざまずいて座っており母をじっと見ていたそうです

幽霊とかじゃなくて生きていらっしゃるおばあちゃんでございますね・・

母は物凄くびっくりしたらしく鍵をかけていたのにどこから入ったのだろうと不思議がっていました

お化け系が怖い人なら驚いた拍子に心臓が止まってしまいそうな出来事ですよね

うん、心臓が止まってしまいそうな・・って、あれ!?

 

実家へは母が亡くなった時に帰ったっきりです

あれから一度も帰っておらず両親の墓参りにも行っていません

ずっと気に掛かってはいるのですがエテを連れて行くにはちょっと遠すぎる・・

 

いつかはエテと一緒にお墓参りに帰りたいです

でも、どうやって行こう?

飛行機?・・想像しただけで頭痛が痛い( ノД`)

 

叔母が語った「自分が亡くなる歳」とは

父が亡くなった時は母がいてくれたのでまだ母に頼っていれば良かったのですが、5年後に母が亡くなった時は葬儀等自分達で考えてやらなければならず不安しかありませんでした

地元に姉弟誰も住んでいなかったので地域のしきたりとか取り決めみたいな細かい事がよく分からずどうすればいいのかと・・

そんな時に力になってくれたのが父の弟である叔父(夫婦)でした

テキパキと物事を進めてくれるので私たちはそれに従っていればよくて本当に助かりました

私達姉弟も、まあそれなりに頑張りました!

自分達の母を送る最後の務めなのですから!

 

叔父の奥さんはおしゃべり好きで陽気で明るい人でした

小学校の給食の仕事をしていたぐらいなので料理が上手で食べる事も大好き、そのためかちょっとふっくらしていました

父が亡くなり、母が亡くなった後の私達姉弟を心配して叔母は仕事が終わると毎晩家に来てくれました

私達が寂しい思いをしてはいないかと気にかけていてくれたのです

私達姉弟も皆いい年になっていたのですが、子供のいなかった叔母からしたら私達はいつまでも小さな頼りない子供の様に見えていたのでしょう

他の誰よりも心配してくれていたのでした

 

叔母が来ると家の中が一気に明るくなりました

おしゃべり好きなのでいろんな話をしてくれます

蛇に取りつかれた女の人が坂道を上るのに蛇のように腹ばいで上がって行った話とか、霊が見える人(霊媒者的な人)に古いトンネルの上を見てもらったら十字架を首にかけている人達がたくさん見えたらしい話とか、同じトンネルを叔母が運転していた時に前を走っていた白い車が突然いなくなった話とか・・

叔母が身近で見聞きしたというそれらの話は真実味があってとても怖いのです

私達はそれこそ子供のようにわくわくしながら叔母の話を楽しみに、毎晩聞いていました

叔母が来てくれていた時間は少なくとも母が亡くなった寂しさは忘れる事が出来ました

 

実家にはとても古い今でいう辞書のような本がありました

本と言っても和紙に墨で文字や絵や解説文的な事が書いてある物でいつの時代に書かれたのか分からないようなものです

文字が昔の字体なので私達姉弟には全く読めません

本当に何でも書いてある万能暦みたいで農作業的な事から占い的な事から病気の事から・・

私達姉弟の名前もこの暦的万能書から付けたと両親から聞かされていました

 

ただ、この本は何故か綺麗な状態ではありません

丈夫な和紙なので破れてこそいないものの端の方がくるくると折れ曲がりとても見辛いのです

父が言うには「祖父が枕にしていた」らしく・・おいおいって感じです

 

ある晩叔母が「家にある古い和紙の本を知っているか?」と聞いてきました

もちろん姉弟は皆見たことはあります

叔母が「あの本には自分が何歳で亡くなるか書かれている」と言います

一同、えっ?と半信半疑の目で叔母を見ました

古くて何が書いてあるかわからない分、とても神秘的な本ではあるのですが人が何歳で亡くなるかなんてそんなこと迄書かれてあったの??

「私は65歳で亡くなるらしい」叔母は笑って言いました

その時叔母は64歳だったのです

「65歳だともう直ぐだね、でも元気だし大丈夫そうだね」私は言いました

 

何の病気もなく本当に元気で、だからこそ叔母も笑って「65歳で亡くなるらしい」と言えたのです

そんな事、誰も信じてなんかいませんでした

笑って聞いているだけでした

 

 

7月に母が亡くなってからしばらく実家にいましたがいつまでもそうしているわけにもいかず自分の家に戻る事にしました

誰もいなくなった実家には弟が残ってくれるというので安心でした

 

そして・・叔母は亡くなった

 

その年も終わり、新年を迎えてしばらく経ってからの事でした

姉から電話がありました

 

「叔母が郵便局で突然倒れて病院に入院した」

 

物凄く驚きました

どうしたのか、何かの病気なのかと姉に聞きましたが分からないとの事でした

ただ少したつと体中に原因不明の発疹が出てきたという事でした

後で姉に聞いたところでは体中に出来た発疹は薬の副作用だろうという話でした

 

叔母はしばらく入院していましたが結局回復する事はなく亡くなりました

 

夏に私達が寂しくないようにと毎晩いろんな話をしてくれてからまだ半年も経っていませんでした

 

夏に当時64歳で「私は65歳で亡くなるらしい」と笑っていた叔母は冬に65歳になっていました

 

姉から叔母が亡くなったと聞いた時「65歳で亡くなるって言ってたね」という話をしました

 

子供のいなかった叔父夫婦は叔母の運転でどこにでも出かけていました

叔母が亡くなり乗っていた車だけが残されました

車の運転が出来ない叔父に車を使って欲しい、運転して欲しいと言われたのですがペーパードライバーだった私は事故でも起こして傷つけてもいけないと断るしかありませんでした

 

 

叔母と夏に話をしている時「自分が亡くなる歳調べてみたら」と笑いながら冗談で言われました

 

一瞬気持ちが傾いて本を開いた事もあったのですが、全く読めない昔の文字に頭がクラクラしそうでやめました

 

もし、文字が読めていたら調べてみたいと思うだろうか?

多分、いや、私は怖がりだから絶対調べない!

 

いつか実家に帰った時、その古い本が残っていたら写真に撮ってここで紹介しましょう

 

ねずみにかじられていない事を祈るしかないけど・・

 

 

母が亡くなり叔母が亡くなり20年以上、その年月分だけ実家から遠ざかっているなあとしみじみ考えてしまった母の命日です

 

 

 

焼き鳥は美味いのである!!