嘘の無い世界☆それは☆彼の世界

嘘の無い世界☆それは☆彼の世界

自閉症で重度知的障害のある息子。虐待で支援学校に行けなくなってから早7年。傷ついた心は何処へ

孤独

最近のエテの事と自分の事。

エテの昼夜逆転が続いている・・

エテには時間の感覚が無い。

時間とは何かを教えてはいるが、エテにとってそれを覚える事はちょっと難しいらしい。

時間の感覚がないエテがではどうやって日々過ごしているかといえば、それは外が明るいか暗いかであったりする・・

いや、原始時代に生きているわけではない。

エテは外を見に行きその時に見た明るさで何かを・・

そう、何かを計っているのである。

 

君が幸せならそれでいいと思っている

 

外の明暗ともうひとつは数字。

数字の大好きなエテがある時からやたら数字を口にし始めた時期があった。

同じ様な数字を繰り返すのだが何を言っているのか全く分からず適当に返事をしていた

が、それから数年経ちそれが携帯に出てくる時間だとやっと気が付いた

愚かな母は、エテが一生懸命伝えていたであろう時間の数字というものを無視し続けていた事になる

エテの話す数字が時間と分かってからは、それでやり取りをする

「もうにーにーれいれい(22:00)だから寝るよ」

いちろくさんごー(16:35)になったら買い物に行くよ」

 

そんなエテが昼夜逆転になってる今、さんれいれい(3:00)になると風呂場に行き体を洗い始める

3:00といえば真夜中である

 

❝3:00という数字(時間)になったら風呂で体を洗う❞

 

というとても困ったルールを作ってしまい、それを実行する

「夜中なんだから止めてね!」とどんなに言い聞かせても、風邪引くよ!と怒っても自分のルールにこだわりがあるのでやり遂げようとする、というかやり遂げる

放っておくと水で洗っている

「何の修行よ(怒)」と思いながらお風呂のお湯を温める

 

結局エテの寝るのが朝の4時5時になってしまう

そこから私はエテが眠りにつくまで子守唄を歌ってあげなければならずへとへとになった頃、外は明るくなっている

子守歌も一度歌ってあげたら物凄く気に入ったらしく毎日せがまれる

元気な時は声を張り上げて歌えるが、疲れている時は声もかすれてぼそぼそな歌になる

声が小さく聞こえないと大きな声で歌うように要求される・・鬼か・・

 

そんなこんなで私は疲れ果て、寝不足からくる思考回路はショート寸前なのだ

 

自分は強い人間だと思っているがそれでも周りから聞こえてくる「甘えている」「親として何もやってあげていない」「子供が可哀そう」という声には落ち込んだりもする

周りのいう「親として何もやってあげていない」というのはエテの将来の事であったり、私がこの世からいなくなった時のエテを心配しての事だろうとわかってはいるのだが・・

 

弱音を吐いてしまえばとてつもなく、孤独である

 

「孤独を感じるのは子供の時の性格が影響するらしいよ」

以前ある人と話をしていて『孤独を感じるのは子供の時の性格が影響しているらしい。大人しいとか消極的とか内向的な性格だったら大人になって孤独を感じる事が多くなるらしいよ』というような事を言われた

「ふむふむ、自分の子供時代とは正反対だ」と思いながら聞いていた

私は活発を絵に描いたような子供だったのである(半面、体は弱くしょっちゅう高熱を出し学校を休んでいたし入院もした)

学校が休みの日は親について行って仕事の手伝いをしたし、学校の日は家に帰ると宿題もせず毎日遊びに行った

友達が家に来る事はほとんどなく自分から友達の家に遊びに行くのである

その日遊べる子と約束をして家に行く、だから日々遊ぶ友達が違ったりした

遠い子だと歩いて片道1時間ぐらいかかったが全く気にならなかった

いろんな友達といろんな話をしながら過ごす時間が楽しくて暗くなるまで遊び、走って家に帰った

中学以降は部活に明け暮れソフトボールや剣道など、途中で辞める事なく頑張った

先輩や後輩と良い関係を築けたし楽しかった

ソフト部の仲の良かった優しい3年生の先輩の卒業式には抱き合って泣いた

 

大人しくもなかったし、消極的でも内向的でもなかったと思っている

(今でも話そうと思えば多分誰とでも何時間でもおしゃべりは出来る)

 

そんな子共時代の性格なんて関係なく孤独ってやってくるものなんだろうな・・

 

孤独を感じない人なんていないよと言われそうだが、自分の孤独がどこから来ているのか?

 

そう考えた時に・・エテとの生活に行き着く

 

エテが不登校となり家で過ごすようになって、いったいどれくらいの時間が過ぎたのだろうと時々ふと考える

エテと過ごす時間は嫌いではない

嫌いではないが・・とても大変

 

ここで愚痴をこぼしても仕方がないが、障害児を長い期間ひとりで見る事は実際大変だったりする

早くどうにかしろとか何とか出来るだろうとか言われるが、それが出来るならとっくにやってるさと反発もしたくなる

 

どうにかしたい、どうにかしなければいけない、でもどうすればいい?どうにも出来ない・・

 

自分がどうにかしていかなくてはならない事が山積みとなり、そこから逃げる選択肢はなく、かと言ってひとりでどうにか出来る事ではない・・

 

それはわかっている

 

孤独の時間とは。。ある意味自分を見つめ直す大事な時間だったりするのだろうか

 

 

へとへとになり「あ~疲れたな~」と思いながら向かう場所はいつもパソコン・・

 

そうよ、パソコンが友達なんよ・・

 

 

 

 

 

孤独だっていいじゃない・・・

 

だって人間だもの  

 

 エテを